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こうした文書主義が、どの程度排除されるかが地方分権の大きな課題である。
○これから地方分権が進んだ場合、その一番の権力者は住民であるから、住民はあらゆることを知らなければならないので、情報公開が大きな問題となってくる。
一例をあげると、進駐軍は広島の原爆の様相をきっちりと記録にとっていたが、それが1960年まで公開されていなかった。この間に生じたのは西欧の原爆大国意識、核大国意識である。核があれば戦争を終わらせることができる、核がある国が強いのだという意識が、この悲惨な記録が公開されないうちに生まれてしまったのである。他方、日本人は原爆症患者の悲惨な状況を見てきており、日本人の中には被害者意識ばかりができてきた。西欧の国々の人達が原爆が自分の身に降りかかるかもしれないという現実に気付き始めたのは、1980年代に至ってからである。
このように、両者の間には大きな意識のズレができてしまっている。情報を正確に知らないということが、どんなに悲惨な状況を生んでしまうかを示すあまりにも切実な例である。
○地方分権が進み、県市町村が情報を大量に所有する時代になると、情報をどのように公開することができるかが、大きな課題となる。今までのように、いたずらに屋上屋を重ね、先例第一の文書主義に頼っていたのでは、情報の公開が遅くなってしまう。
これから多くの情報が公開されるのとあわせて、こうした情報をもとにしてどういう施策を行っていくかを、知事、それから市町村長、県市町村の議員の皆さんたちが自分で判断しなければならない。地方分権が本格化すると、選挙で選ばれた議員の責務が非常に重要になってくる。ある部分は今まで国がやってくれたのを青森県自体で、さらには市町村で判断しなければならない。ここで判断を行う人たちが今まで通り、自分の町や村だけ良ければいいと考えるような人たちであれば、地方分権による責務を果たせないと思う。
○21世紀の地方行政の一番基本は何かといえば、それは文書主義から現場主義への転換である。
伝承芸能の保存会から事実と異なる文書が来ると、それが国の機関にまでそのまま上がって行くような、現場は二の次、三の次という体系の中で地方分権が行われれば、地方分権は何の実も結ばない。まず、公務員を現場に立て、そして現場の自分で正しく掴んだ情報を議員に送りなさい、と言いたい。こういう体制を基本的に作っておかないと、地方分権は結局単なる事務機能が中央から地方へやってきて、地方の役場がその分だけ忙しくなった、それだけに終わってしまって、地方の住民には本当に生きた権力、あるいは権利が来ないことになる。
○どうやったら村がおこり、町がおこるかということを、まず自分

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